人生を制限させないADHD・うつ病

ADHD・うつ病に捉われずどうすれば人生を制限させずに生きるか情報を提供するブログです。

吉田彩とは何者か【後編】

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入社4か月目で経営企画室海外プロジェクト室に配属、海外進出へ


 私の修士課程における最大の失敗は「最も重要な修了後のプランがあまりなかった事」だ。この事実は私が単眼思考である事の証明のようなものだ。
 就職活動にそれほど興味がなかったので非常に就職活動に苦戦した。落ちまくった理由は「やりたいことが曖昧」で、かつ落ちてくると焦って何でも受けてしまう。で、「入社」が目的なのが会社にバレて、また落ちてしまう・・・の繰り返しで大苦戦。
結局、フィリピンの現地採用複数社と日系企業でアジアに海外進出を行うと聞いたから面白そうと思い、入社を決めた。
 「海外進出」に何故興味を持ったかと言うと、自分が幼少期に留学した経験からである。
 日本人は世界に拮抗するのにあまりに英語が話せないし、その国のレギュレーションの中で雁字搦めになっている事が留学を経験して分かった。日本人代表としてオーストラリア人やフィリピン人に囲まれ、彼らの方がずっと優秀だと思い、ずっと悔しかった。
 要するにその悔しさのバネを「海外進出」を通じて実現しようとした。
 その活動を通じて自分も世界に拮抗出来るような能力を身につけられると信じて。「日本人が世界で戦っていく」事の重要さと厳しさを留学等の実体験から多少学んできたつもりで、じゃあ自分の仕事では海外進出したいと考えている企業の事業推進に従事していきたいと思ったのだ。
 でも最初新卒だから当然家電の販売をしなくてはいけなくてオペレーションミスしまくって休みの日も店から電話がかかってきて心が休まらなかった。精神安定剤を飲んでもダメだった。現実は厳しい、世界どころじゃない。一つの店舗ですら、私にとって能力の範疇を超える。
 そんな時本社の海外事業部の異動が決まった。海外事業は2つプロジェクトがあって同時に進めるのが非常に大変だった。
 色々あり、無事海外進出が出来たと同時に辞めることを決めた。転職活動は2週間で終わった。
 
 うつ病のきっかけは残業150-160時間

 けなされる時は「東大院出てもこんな事も出来ないの?」
 出来たら「東大院出たらこれくらい当たり前」
 海外進出やコンサル等高い質を求められる仕事を多量に任されると、睡眠不足で集中できないのもあり、ミスが多くなり、ミスを責められ、凄く高い壁をどんなに頑張っても乗り越えられない。どんどん自分に自信がなくなり毎朝憂鬱、仕事が終わっても憂鬱でした。
 食欲がなくなり眠れず、あまりにもミスが多い為心療内科に通い「ADHDとうつ病である」という判断が出された時は心から腑に落ちたのです。
 でも自分が「ADHDとうつ病」という切り口から入られたらキレます。
 だってそれは私の中の1面の一つだから。
 
 そこから心療内科に通い続ける日々が始まりました。もう3年以上経っている。

 自分はきっと高校を卒業したら何もない人間だから死ぬんだろうな、と思っていた。
 でもその頃の経験がないと、「自分と同じ経験をしている」という人間の力になりたいとも思わなかったのでその経験があってよかったな、今では思えます。

  本を3冊出していますが何故出したかったのか自分でもよく分かりません。

 最初からブログにすればよかったなって思っています。

 正直ここ2年間一番クズな時期なので何とか脱却したいです。

おわり!