人生を制限させないADHD・うつ病

ADHD・うつ病に関するブログです。

吉田彩とは何者か【中篇】

私が最も人生で楽しかったのは大学4年間。

 一番感動したのは「皆仲が良かった事」。その大学は先ず国籍が幅広く様々な方がいらっしゃいました。日本人のタイプとしても真面目系、ヤンチャ系、様々な方がいらっしゃいましたが皆非常に仲良かったです。
教授陣も皆様個性豊かで生徒との距離が凄く近かった。
 ゼミは研究室の鍵を貰える所で、研究室で勉強したい人は研究室でよく集まって勉強して、クリスマスパーティーを開いてプレゼントやメッセージカードを交換した。
 皆で鍋パーティーをして、桃鉄をして、山梨に温泉旅行に行ったり新潟にスキー旅行に行った。勉強の傍らきちんと「大学生」っぽい事もして楽しかった。あと何故か乗馬しました。
 大学では奨学論文やTOEICスコアアップを頑張ると賞金を頂けました。なかなかそういうインセンティブ制度は他の大学にないと思います。
 課外活動はNPO法人の理事をしていました。
 1年フィリピンに留学した。
 物凄く親切なNGO法人の方のスラムで算数を教えるボランティアに参加する事になり、彼らのサポートのお陰でスラムでインタビュー調査を行う事が出来た。
 その調査を元に卒論も書けて、東大院にも合格した。
 在学中新聞にもインタビューを載せて頂いたり、色々奨学金も頂いたり、学内のスピーチコンテストで英語とフィリピノ語で優勝した。
 超良い4年間だった。とにかく楽しかった。

 東大院はクソ

 それは今思えば「自分の意思で行っている事」だからだと思う。当時にしてみればそれは当然の事だと思うが、物事を行うのに最も大事な要素だなあと今だと感じる。
 東大院の2年間はクソつまんなくて、きっかけは修士1年の5月に入試説明会のサポートのバイトを先輩と一緒に行っている時にゼミの先輩に「生まれ変わったらどの大学に入り直したい?」と聞かれたことだ。私はすぐに「自分の4年間に満足しているので生まれ変わっても同じ学部に入りたい」と答えた。
 「つーか自分で納得して入ってんだから『生まれ変わったらどこに入りたいのか』なんて聞いてんじゃねーし」、と思ったけどその時こいつらに負けない研究をしたいと思った。それ以外の事は興味がなくなった。
 その日から東大院に入った目的は「修士論文で専攻長受賞」と「修了」する事のみになった。段々東大院に通うのもしんどくなった。ゼミに先輩がその発言者がいるという事実が一番辛かった。
 ゼミの飲み会も嫌々たまに参加して開始早々いつも気持ち悪くなってトイレにいた。ただ先生が研究指導においてとにかく素晴らしい先生だったから先生の言う事だけ信じて研究を続けた。
 帰りの電車、家で「やめたい」って言ってずっと泣いていた。後期から別の研究所に行こうとしていた。でも自専攻が嫌なら他専攻の授業を受ければ良いと思い、他専攻の授業を履修した。
 論文は専攻長賞を取れた。学部時代の先生も大層喜んで下さった。
 私は都合の悪い事はすぐ忘れるのでその先輩の名前すら覚えていないが、ようやくそこで私は2年間の復讐心を閉ざす事が出来た。
 研究に対するインセンティブになったからまあ良いのかな。同窓会とか死んでも行かない。