人生を制限させないADHD・うつ病

ADHD・うつ病に関するブログです。

いきなり帰国?!

ここまで順調な留学生活を送った筆者だったが、筆者は留学 2 ヶ月目にナボタス町 という所で卒論のインタビュー調査中に感染症にかかり、2 ヶ月間の間全身が 24 時間痒くなり全身に発疹が出来、眠れない日々が続いた。

そのことを聞いた国際課の方が「一旦帰国しなさい。日本で病気を完治してから留 学を続けなさい」と電話先でおっしゃいました。しかし「帰国する気は全くございま せん」と答えた。何故なら留学と言う夢を、諦めたくなかったからである。

「帰国するものか」という気持ちの反面、日が経つにつれて発疹は徐々に体中に広 がり「やはり帰国しかないのか」という気持ちも芽生えてきました。しかし、私は自 力で日本人のお医者様がいらっしゃる病院を見つけた。その病院まで住んでいる寮から往復 6 時間かかりました。しかし定期的にその病院に通うと徐々に痒みは無くなっ てきた。そして、遂に帰国せずに済んだのである。

 40 年に一度の大洪水

2009 年 9 月 26 日、台風オンドイ ( 16 号 ) がマニラ首都圏を直撃した。数時間で390 ミリの降雨の量であり、各地で洪水が起きた。

朝目を覚めたとき、家が浸水していた。どんどん水位が高くなってきているのでパ スポートとノートパソコンを抱えて別の家に避難することを決めた。

実はこの時点で日本人のシスターが経営している寮に移ることを決めていたのでそ こに避難しようと思ったが、洪水でジープニー( フィリピンでの乗り合い場所) が動 かない。途中 1 台のジープニーに乗ったが雨で動かすことが出来ない。

しかしその時わらわらとこの雨の中靴を履いていない子供や大人達がやってきて車 を動かしに来たのだ。私達乗客はただただその光景を見ているだけだった。危機に本 当に立ち向かえるのは彼らのような貧しい人々だと思い、私は感動した。この国は貧 しい人々、豊かな人々両方が力を発揮する国だと思った。

途中喫茶店で雨が止むのを待っていたが 3 時間以上待っても全く止まない。従って 歩いて寮まで行こうと決心したが、歩くたびに水かさが増してきて仕舞いには腰まで の深さになってしまった。私は危機感を覚え、引き返そうと思ったが水の流れが激し くて中々戻れない。二人の男性がただ呆然とこちらを見て立っている。彼らも何をし て良いのか分からないのだろう。私は重いノートパソコンを抱えながら「こんな所で 死んでたまるか」と叫びながら歩いた。

びしょびしょになって喫茶店に戻り、また頃合いを見計った。しかしまだ雨は止み そうに無い。仕方が無いので覚悟してヒッチハイクをした。そうしたら止まってくれ て寮に送ってくれた。お金を差し出したら笑って断った。

この日を契機に、私の Boading House 暮らしに終止符をつけることを決心した。 2か月分の寮費を払ってさっさと家を出たのである。ようやくこの時から私は留学生活 を楽しめるようになったのである。

通訳のイベント

ボ ランティアの人員募集の為、ポスターを貼っていたらそれを見たフィリピンの法 務省から連絡が来た。「日本人が来るから通訳をやって欲しい」と言われたのである。

JICA がフィリピンの法務省に対して、犯罪人の改正活動の促進の為に 2003 年から 資金援助を行っており、毎年 1 月、その活動が順調に行われているかどうかを知るた めに意見交換会を行っているのです。そこには日本から保護司( 犯罪や非行に陥った 人が保護観察を受けることになる時、生活相談などによって社会復帰への手助けをす る人のこと ) の方がフィリピンに来られ、そしてフィリピン人の保護司の方、 JICA

の職員の方、国連アジア極東犯罪防止研修所の教官の皆様方が一堂に会し、意見を交 換し合うのである。

私はフィリピンの法務省の中にあるフィリピン司法省保護観察局の Isabel さんか ら「意見交換会の為に日本の保護司の方がフィリピン大学にいらっしゃるから、通訳 をやらないか」と声をかけて頂き、 2010 年 1 月 10 日から 13 日の間に行われた意見 交換の会に通訳として参加することが出来た。その時私は思いがけない出会いがあり ました。フィリピンで企業をしたくて留学した友達。将来国際協力を仕事にしたいと考えている友達。様々な才能、夢を持った方々にお会いすることが出来た。留学中に 出来た友達も私の財産の 1 つです。

11 フィリピン人とのケンカ

私 が最も印象に残っているのがフィリピン人との喧嘩である。誰と何故喧嘩をした のかというとフィリピン大学のずっと仲良くしていたフィリピン人グループで、原因 はミスコミュニケーション。

あ る日本人グループの案内をしていたフィリピン人だが、彼等の説明不足で日本人 達に混乱を招いてしまった。それを注意したら「関係の無いメンバーに悪いイメージ を与えてしまうから止めろ」、「フィリピン人の文化を受け入れないのなら帰れ」と言 われムキになった私は「フィリピン人グループ全員を集めて話し合いたい」と言い、

30 人程のフィリピン人と話し合った。後々、彼等のルーズさ( 日本語勉強会に対して の遅刻、無断欠席) に対しても指摘したが、結局改善は見られず。

結果、私が折れることにし、最後のお別れ会ではメンバー全員の似顔絵を描いて、 プレゼントし、円満に解決するように努めた。( 正直自分が良い格好をして留学を円満 に終わらせたいという欲は正直あった。)

この喧嘩を通して、フィリピン人のプライドがまじまじと感じられ、人を変える難 しさを知った。人の性格はそう容易く変えることは出来ない。そう考えたら、「国際開 発なんて無理じゃないかなあ」と思った。よその国が自国を変えるなんて不可能じゃ ないのかと。